清澄白河の建築以前以後展と生成の世代展行ってきました。
なんてとこにギャラリーがあるんだ!!っていうつっこみは置いといて。
タカ・イシイギャラリーもみてきまして。
平田さんのframe flameも見てきた。思ったよりゴツイことにびっくり。
そして誰かわからないけど、コーヒーとミルクのインスタレーションに勝手にビビってました。
マジでこぼしやがったこのアーティスト。
まずSANAAのロレックスラーニングセンター
見た瞬間「SANAA!!」っていうのがすごいですよね。まぁ、知ってるプロジェクトっていうのもあるかもしれないけど。ここ何十年の学生設計の主流の一つがSANAAっていうのは間違いないと思う。
細かいつっこみどころ(下の部分はどうやって使われるのか?とかスロープなんであるの?とか)はこの際無視します。
大きな一層のワンルーム。そんな空間を有する学校。
斜面の部分を人工的に生成したり、斜面によって場が生まれたり。相変わらずうまいなーって思います。
斜面の部分は当然家具とかは一切ないんだけど、その場はどうやって使われるんだろうと考えつつ、なんとなく場の使われ方が想像出来ちゃうのはすごいかもしれない。
公園という外部の象徴のような空間を内部空間、しかも学校にひきこんでいる作品
それ自体が一種の都市のようであり森であるという建築。
なんかSANAAの作品を見てるとそんな思考しかできなくなる(笑)
すこし思ったのが個人のプロジェクトからSANAAのプロジェクトに移行する際に
ファサードが変わっているなと思った。それは作品のスケールによるものなのか?と考えてしまう。
ただ妹島さんがおもしろいのはSANAAで習得したファサードを個人のプロジェクトに持ち込みはじめているなってこと。ルーブルランスやサーペンタインで味をしめたか?
軽い建築とか、かわいいとかいろいろ言われてますが
それよりも建築の空間の可能性を探求しているように思われる。
西沢さんが空間に名前をつけたいと言っていたのが思い出された。
やいやい言われてますがやっぱりSANAAは結構好きだなと思ってしまう自分はまだまだ表層主義者か。
続いて
生成の世代
dot architects
あいかわらずゲーリー邸をまっさきに思い出す(笑)
ある種のまがまがしさといいますか、トンテンカンってかんじで建築作ってますな~っていう匂いがプンプン。
方法論が特殊であるから出てくる建築もオリジナルなものになるといういい例です。
ここで藤村さんの顔がチラついてきますよね(笑)
春休みにプリズミックでの展覧会があったので、それを見に行ったからこの模型たちを見るのは二回目。
しかし藤村課題を終えてからのbefore→afterの印象が絶対的に違います。
たしか春休みのときは、「カッコいい空間ほしくね!?」とか思って、ドットさんにも抗議してたのですが(笑)
この特殊な外観の建築ができた源は特殊な方法によるためとわかるとホント見方が変わったな~と思います。
そしてこの建築は敷地がないなと思いました。実際には敷地はもちろんあるんだけど、00house(たしかこんな名前)のとなりの模型のコンセプトからしたら敷地がないタイプの建築なのかなと。
要は人間の行動によって生まれた空間。
ヨーロッパみたいに敷地(場所)から生まれた建築ってよりはベトナムとかインドとかのactivityから生まれたものであると。いわゆるトンテンカン建築なんですが。
そういう意味ではゲーリー邸はトンテンカン建築の師匠的存在であり人間のもつ空間感から生まれた住宅なのであろう。
そしてゲーリー邸は改修という特殊な(今は全然特殊じゃないけど)作り方をする。
ゲーリー邸は改修以前の建築物の影響によって敷地から生まれるタイプということになるが、改修を行うことによって、さらに人間のactivityによって(トンテンカン的)改修を行うことによって、二つのタイプの建築生成が一つの建築におさまることになるのではないかと考える。改修おそるべし。
オープンデスクによって作られた建築たちは好き勝手に生えまくった植物のようで生き生きしてかつ力強かった。すさまじいです。それをやろうとしたdotさんに感服。
藤本壮介さんの東京アパートメントは、やっぱりおもしろい。
というより藤本さんの建築はおもしろいね。
interestingのほうですが。
ホントに建ちあがったものを見てみたいって思わせる建築です。
ただここまでして何が生まれるのかがよくわからないのも確か。
イエガタ積み重ねてどうした!?みたいな。
こんなことを考えてるうちはまだまだ読みが浅いんだなって思ってます。
精進します。
でも藤本さんはSANAA同様に場の生成がとても上手な方だなと思ってます。
濃密か否かは別として。
藤村龍至さんのBUILDING Kの模型をはじめてみた。
あいかわらずすさまじいし、相変わらずわかんねー(笑)
ただ恐ろしいほどにスタンスがブレない。
生成の世代展は説明がいっさいなく、模型が並んでるだけなんですが、
なにも語らない模型たちの大群がズラッと並んでるだけで圧倒される。
外観がダサいというよくある意見。
これは表層の話であって、藤村さんがしたい深層の話とはまったく関係ない的外れな感想なのであろう。
たびたび使う表現だが、素晴らしい絵画の前で額縁について延々語ってるようなものなのだろう。
論点違うしという。
外観ダサい論はそれでも当り前のように繰り返されていて、そこまで最近の学生は表層の話しかしていないというのがよくわかる。(藤村さんを批判できてないので悔しいが)
コルビュジエやミースの時代。さらにはメタボリズムなどの時代は深層の話が展開されていたのにいつしか表層の話しかしなくなってしまった。建築は深層を語ることのできる数少ないメディアの一つだというのに。
よく方法論の話をするのは当り前であるという話はよく聞く。
そして線形的な設計をするのは建築家は当り前のようにするはずなのに藤村さんはあえて、狂ったように(笑)超線形の模型たちを残している様を見ると藤村さんが無言で最大級の皮肉を建築界に向けて発しているようにしか見えない(笑)それを「激アツ!!」ってなノリでメディアがこぞって取り上げるのも滑稽ですな。
ただ、方法論は当り前であるから大事なのは空間なのだ!!みたいに言ってるのに方法論はまったく無視されているのが現状ではないか。方法論をひけらかす必要はまったくないが、そこにはしっかりと方法論が考えられているべきであろう。
異常なまでの藤村さんの超線形激プッシュの効果か、今回の展覧会も方法論(まだそこまでいかないが)
を繰り出してきている建築家が増えてきたように思われる。
方法論とまでいかないが、伊東豊雄さんも自分の手法(手のうち)を展示として見せていた。
osloのコンペ案。
コンペの最初期から最終提出資料まで。
その間の思考の過程も展示していたことの驚いた。おもしろい。
そしてstudyの進めかたとして
Imageから入るのではなくグループごとにResearchを十分にする。
という記述があったことに驚いた。
イメージしない!!(笑)
osloの環境から図書館の分析、そしてメディアテーク・多摩美図書館の分析まで行っていることを初めて知った。貪欲です伊東さん。
少しずつのブラッシュアップが大事なんですよ。
伊東さんや藤本さんSANAAやコールハースはよく学生設計みたいやな
って言われるけど。正確にいえば学生が彼らの設計をパクっているのであろう。しかも表層の部分だけ。
それは形態がわかりやすいであり、そこを「学生設計みたいだ」というのは間違っていると思う。
アトリエ系建築家はファッションモデルのようなものなんだと思う。
トップのモデルが雑誌などでかっこいい格好をしてそれを見た読者がマネをする。
伊東さんらが表層のトップモデルであれば、藤村さんは深層のトップモデル(?)
いずれにせよファッションモデルじたいが表層のものであるから矛盾が生まれる。
深層を表層的にマネることがないように読者は気をつけねば。