「データとプロセスの関係を考える」
中山さんはゴールのないイメージを浮かべる。イメージはイメージ思いついたこと、コミュニケーションを絵に落とし込み、フィードバックをすることによってそのプロセスが建築になる。
小嶋さんは学生を使って設計を行うことによって、データがたくさんであり最後の決定が異なるということが起きる。
また途中で面積が小さくなってもそれすらもデータとして取り込みより濃密なものを生み出す。
プロセスにより建築ができ、それを空間で補完することによってより説得力が増す。
このようなプロセスが取り上げられていることに関しては
20世紀(モダニズムの時代)は単純化・理解を共通という考えがあった。
しかし、現代は情報化により300人いたら300に別々の行動をする。
小嶋さんはスペースブロックという
「多様化」を「多様化に対応できるツール」で対応
そして、教育レイヤや政治レイヤ建築レイヤ
などのレイヤ(意識決定)を等価に扱うことによってより濃密な設計になっている。
そして山梨さんのヒューリスティックアプローチ。
BIMを使用することによってデータをなるべく切り落とさないで設計することができる。
3DCADは濃密なものになるが西沢立衛さんの「対談集」でもあったように3DCADを使うことによって
車の設計のように抽象性は排除されるのだろうなということがある。
というか車の設計は抽象性が排除されていると言いますか。
建築においてこれから抽象性が排除されるのかとか、排除されることの是非は別として。
個人的に「抽象性」という意味がうまく扱えてない気がするので、
言い換えるなら、車の設計でのコンセプトには建築における「概念」というものがないんだと思う。
2次元のものををいきなりすっとばして3次元のものが建ちあがってしまうということはいきなり具体的なものができてしまうのではないか。
コルビュジエが建築を他の産業と同じように扱ったように。
BIMによって建築が車と同じように産業化するということが考えられる。
ここで言いたいのは「産業化」が悪いということではないです。
もちろん作っていく過程が全く違うので「車」と同じにはならないのは明白であるし。
一つの道としては。
たとえ、同じ「産業化」の道をたどったとしてもコルビュジエの時代とは違ったワンランク上の議論ができると考える。ただ無批判にBIMを使い続けるとただデータを回収して解いただけの建築になってしまい、建築家不要論が持ち上がってしまう。
建築における「概念」がこれからの建築に必要ないのであれば、藤村さんの言う「超線形」のような線形を超えるという建築家独自のジャンプが重要になってくるのではないか。
ここでのジャンプは夜学校の最後に難波さんが言っていた「データの取り扱い」であり、どの「データ」を回収して、どのように「プロセス」に反映するかということである。
そのことによって建築の固有性を取り戻すことができる。
もう一つはBIMの過程に概念を取り入れるということ。
BIMといういきなり具体的なものが建ちあがってしまうものに「抽象性」を吹き込むということがあり得るのではないかと考える。
この場合BIMは「完全に」効率を上げるということに終始して、時間がないから「考えきれなかった」ということを減らす。
抽象性を吹き込むというのは、せっかく「二次元」でものをかんがえていたのだからその思考を3次元に移行した時に「切り捨てるというのは」おかしいのではないかと考えるからである。
藤村さんはより変数を多く解くと「形が凡庸」になるといっていたが、超線形も同じように抽象性は排除してしまっているといえる。
と考えながら、
それが超線形なのか?
という結論と
そもそも概念を入れるとより多くの変数は解けないのではないか
という疑問が生じました。
だからと言って「形態操作」をあきらめていいのか。
というより超線形うんぬんという話より、変数を増やしつつも概念を交えることができればよりよいし、それが今後の設計事務所の生き残っていくべき道なんだろうという話。
そこでおもしろいのが「スケッチ」
2次元CADの特徴としては、点を何個か結んだものがドアになるということである。
そしてスケッチは点ではないが線によってはじめてドアができる。
2次元CADと同じ出発点でいながら、3次元CADのようにオブジェクト指向(3次元だから)である。
ここに2次元と3次元を架橋しているおもしろさがあると思います。
あと建築家不要論がちょっと盛り上がっていたので
建築家は建築を通して施主やディベロッパーと社会をつなぐことができると思います。
たとえば、憧れのマイホームであるが施主は個人的な価値観や理想でしか考えようとはしない。個人は周りのことを考えないのである。その個人的な価値観を建築家が社会とつないであげるべきではないかと考える。
そうすることによって郊外も濃密なものになり、地域の固有性が取り戻せるということである。
モダニズム以降建築家はとりあえず自分の作りたいものをいろんな小難しい論を用いてバッコバッコ作っていきました。形態が奇抜であればいいと思っているように。そのために建築家と都市は断絶されてしまい、都市はめちゃくちゃなことになってしまった。そのようなことが起こらないように今後は建築家が施主やディベロッパーを社会とつなげてあげる役割を担うことによって建築家の生きる道が見出せる。
そんなことを考えました。
以上。